医療法人社団 煌の会 YSYC山下湘南夢クリニック

日本生殖医学会認定 生殖医療専門医 不妊治療費助成金指定医療機関 藤沢駅南口徒歩4分 TEL 0466-55-5011

スタッフブログ 山下湘南夢クリニック(YSYC)は、神奈川県藤沢市にある不妊治療を専門とする医療機関です。 そこで働く私たちスタッフが、日々感じた事や不妊治療に関する事を書いています。

カテゴリー:YSYCの日常

2017.11.24

漫画家やめてYSYC受付に転職し4年6ヶ月働き気づいた人生の大切なこと。
受付の中西です。

屋久島での縄文杉トレッキングを経験してから、すっかり登山の魅力にはまってしまい、11月某日、ひとりで丹沢の塔の岳を登頂してきました。塔の岳は、標高差が1,201mあり、バカ尾根(バカみたいにだらだら続く尾根が由来)と呼ばれる、終わりの見えないひたすらに続く登りが魅力の山です。
以前の私は、登山に全く興味がありませんでした。何を目的に山になんて登るのだろう?と思っていました。
はまった理由は自分でもうまく説明できませんが、屋久島に始まりいくつかの山を経験し、険しく辛く長い山道を、山頂に辿り着くためという目的でのみ登り続ける行為に、私の浮き沈みあった29年間の人生そのものを重ね合わせているのかもしれません。

私は今回のブログで今年最後の更新になります。今年の反省と来年の抱負を書こうとパソコンに向かいましたが、ふと、就職してからの4年6ヶ月を振り返り、自分の心の中で大きく変化し成長した部分があることに気がつきました。
ブログで個人的な内容を書くことは相応しくないと控えてきましたが、就職して4年6ヶ月がたち、20代最後の歳になった今、ストレートに「私」のことについて書かせていただきたいと思います。

(長文です)



私はYSYCへ転職する前、漫画家をしていました。漫画家といっても、某少女漫画誌に入賞し、増刊に短編が数回載った程度です。連載作家さんのアシスタントをして細々と収入を得ていました。
幼い頃から絵を描くことが大好きでした。小学生になると、特に漫画が得意だったので、ノートに漫画を描いてはクラス中の友人に読んでもらっていました。今思えば子供の考える脈絡のないストーリーでしたが、早く続きが読みたいと友人に言われると嬉しくて、夢中になって描いていました。絵を描くこと自体も楽しかったのですが、周囲の人が喜んでくれることが何よりも嬉しかったのだと思います。将来漫画家になれたら楽しいなぁと淡い夢を抱いたのがこの頃でした。

中学生では美術の成績が良かったため、もっと美術にのめりこみたいと思い、高校は美術専門高校へ進学しました。美術専門校には絵の上手い子がたくさんいます。普通校でトップの成績でも、ここでは努力してもトップになれません。絵に関してだけは非常に負けず嫌いだった私は、授業以外にも、休み時間に課題の絵を描き、放課後は美術部で絵を描き、休日は絵画塾に通って絵を描き…出来る限りの努力をして美術漬けの日々を送りました。彼氏を作らず、自ら恋愛は遠ざけて、ストイックに美術に邁進した青春でした。それでも毎日が楽しくて仕方がなかったのは、同じ道を志す友人たちの存在があったからかもしれません。

大学は美大の油絵科へ進学しました。大学は専門分野を伸ばす場所です。高校時代のような、修行のように絵を描く時間は減り、1年生、2年生は自分の作品の世界観を追求するカリキュラムになります。他のことに目を向ける時間ができ、これまで一切経験してこなかったおしゃれを楽しんだり、初めての恋愛に夢中になったり、アルバイトに精を出したりと、実に能天気な学生時代を過ごしていました。3年生になると就職活動が始まり、この時始めて、卒業後の進路について考えました。
恥ずかしながら、絵しか描いてこない人生を送ってきたため、自分がどんな仕事に就きたいのか考えたことがありませんでした。
周囲の友人たちは、美術の教員、デザイナー、画家兼フリーター、美術と関係のない職業など、様々な進路を希望していました。自分の就きたい職業は何だろう?と模索するうち、幼いころ胸に抱いた、漫画家になりたいという夢を思い出しました。

全く就職活動をせず、4年生になったとき、周囲に内緒で某少女漫画誌に投稿を始めました。徹底的に努力すればきっと何とかなる。今までもそうやってきたんだから。編集部に積極的に作品を持ち込みし、編集者から意見を貰い投稿を重ねているうちに、大学を卒業した頃に作品が入賞して担当編集者がつくことになりました。まだ世間知らずだった私は、絶対に自分は漫画家で成功すると信じて疑いませんでした。編集者に下絵の描き直しを何度も要求されても一生懸命に応え、1日中机に向かって絵を描きました。編集者から下絵のOKを貰っても、会議に通らなければ作品はボツになります。また新たなストーリーを考え、編集者の直しに応え、絵を描き、、、外出せず、自室にこもり、ひとりきりで終わりの見えない作業を必死でこなしました。作業が進まないと編集者に連絡できないため、風呂に入る時間も惜しんで1分1秒すべてを絵を描く時間に注ぎました。
絵の腕を買われて連載作家さんのアシスタントの仕事を紹介されました。最初は楽しかったのですが、自分の絵を描く時間が削られてしまうので、睡眠時間を削って作業時間に充てるしかありません。寝る間を惜しんで描き続けました。幼い頃抱いた夢と違う現実に、心が少しづつ疲弊していることに、この時はまだ気づいていませんでした。

学生時代も1日中絵を描いていましたが、切磋琢磨する友人がいてすごく楽しかった。人に喜んでもらうのが嬉しくて、絵を描くことが好きだった。今描いている漫画がボツになったら?努力が報われなかったら?私は何の為に描いているんだろう。
編集者は駆け出しの作家の卵を何人も抱えているため、連絡が途切れることもしばしばありました。編集者との連絡が、私にとって唯一の社会とのつながりのように感じていたため、それが途切れると、ひとりきりの孤独感に押しつぶされそうになり、

ある日、私は漫画が描けなくなりました。

漫画が描けない。漫画が読めない。本屋の漫画コーナーに近づけない。
編集者に、もう描けないと泣きながら電話すると、編集部は期待していた、描きたくなったらいつでも帰ってきてください。とだけ言われました。自分が何と答えたかわからないまま切り、たった1本の電話で、私の漫画への挑戦は幕を下ろしました。ずっと情熱を燃やしてきた絵を描くことから、逃げてしまった。その事実が、自分の歩んできたこれまでを自ら全否定したようで、呼吸の仕方が分からなくなるほど苦しかったです。

やめた後は、とにかく早く就職しなければと思い、就活を始めました。絵を描くことが怖くなっていたので、絵に関する仕事は選べませんでした。就職サイトで医療機関の求人を見ていると、行きつけのクリニックで働く優しい受付事務さんの姿が目に浮かびました。私も人の役に立つ仕事がしたいと強く思い立ち、資格を取得して就活を続けました。未経験の上、美大出身という謎の経歴だった為、書類選考で落とされることもしばしばありました。美術系なのに、なぜ医療機関に就職したいのか?面接で質問されうまく答えられなかったとき、不甲斐なくなり、自分の経歴を一生隠して生活したいとさえ思うようになりました。弱い自分をなんとか鼓舞し就活を続けたところ、絶対無理と思っていたYSYCから 内定をいただきました。もう一度社会とつながるチャンスをいただけたような気がして、本当に嬉しかったです。

就職してからは大変な日々でした。私よりも、周囲の方々の方が大変だったと思います。接遇や計算には自信があったため業務はすぐに覚えられましたが、ひとりの作業で完結する絵の世界で生きてきた脳内花畑の私は、チームで働く意味を理解できておりませんでした。社会人らしからぬ突飛な物言い、上下関係を考えない破天荒な行動は周囲の方々を困惑させました。でも、私を見捨てず、本音でぶつかって叱ってくださった方々のおかげで、泣いて落ち込んで、立ち直ったらついまた調子に乗り、叱られ、、、そんなことを幾度となく繰り返し、今に至ります。思い返す と恥ずかしくて申し訳なくて、穴があったら入りたいです。

私が絵が描けるということで、患者様へのお知らせ、小冊子などの制作をする機会を与えていただきました。自分の唯一の得意分野なので全力で取り組みました。退職する職員への寄せ書きイラストも、一切手を抜かず、休日の時間を費やして描きました。人の役に立てていると実感できる嬉しさからか、絵を描くことが怖くなって漫画をやめたということなどとっくに忘れていました。
漫画はひとりが辛くて逃げました。YSYCでは私はひとりではありません。
手本になってくれる人生の先輩がいます。仕事に一切の妥協をせず、風当たりの強い、みんなのを前を歩いてくれる方。情に厚く母のような温かさで見守 ってくれる方。人の噂話や周囲の雑音に耳を貸さず、気風良く働く男前な方。仕事に実直で、その存在感だけで仕事に対する正しい姿勢を示してくれる方。私が悩んでいる時、世代にとらわれない的確なアドバイスをくれる方。

毎日がありがたく感謝の日々です。そして、患者様が来院され、診察券を受け取る時、電話でお話しさせていただく時、レジでお会計をする時、皆様と接している時、元気をいただいています。人の役に立ったと実感でき、周囲の人が喜んでくれるのが何より嬉しい。その感覚は、私が幼い頃、絵を描くことが大好きになったきっかけのそれにとてもよく似ていました。

美大時代の友人から、今でもたまに絵を描く依頼が来ます。友人が喜ぶ顔を想像しな がら、無償で引き受け何でも描きます。現在、某大学の学食ポスターイラストを描いていますが、手を止めて休憩しているとき、ふとYSYC絵フォルダが目に入りました。クリックし開いてみると、4年6ヶ月で描いてきた様々な絵がでてきました。寄せ書き、お知らせ、冊子、ブログイラスト、アイコンなど細かいものまで、実にたくさん描いたものだなぁと見ていると、自然と涙が溢れてきました。

絵を描いて人に喜んでもらうのが好きだった。漫画が辛くなり、絵が描けなくなったので、転職した。転職活動中は、美大卒の経歴が恥ずかしくて、消したい過去と思った。絵を好きにならなければ良かったのにとさえ思い、今までの自分を否定し、責めた。
でも結果的に、この職場でもこんな にたくさんの絵を描いている。絵は業務と関係ない能力なのに、特異な個性として認め受け容れてもらえている。絵が好きで良かった。間違った選択はしてこなかった。漫画を目指した過去があるから、今ここで働けているんだから。

歩幅の狭い一歩一歩は、着実に積み重なって、YSYCで過ごした4年6ヶ月が、一番強固な地盤となり、私の自信を支えています。絵に邁進した学生時代の日々よりも、濃密でめまぐるしく充実した日々を過ごせている今が、何にも代えられない宝です。時折、絵の世界に未練はないかと聞かれることがありますが、全く未練はありません。

幼い頃思い描いた将来の私とはまるで違っても、今がとても幸せです。

———-

塔の岳の山頂付近は樹木の裸化が進み風当たりが強くなります。やっとの思いで標高1,491mの山頂に着いた時、突然空が曇り始め視界は真っ暗になってしまいました。まるであの世の入り口にいるかのようです。太陽は雲に隠れ、寒さでガタガタ震えながら休憩を取りました。晴れている時は見晴らしが最高と聞いていたのに。予想していた山頂の景色とは違うこともある。今日はあいにくの曇り空だったけれど、登頂しきった達成感からか、山頂の登山客はみな笑顔いっぱいでした。
下山中はいつも、よくこんなに急な山道を登ってきたなぁと、往路の自分に感心してしまいます。
ひとり下山していると、他の登山客のおじさまに話しかけられました。ひとりで登山は危ないよ。次は誰かと登りなさい。
紅葉シーズンの為、登山客が多いとはいえ、確かにひとりは危ないなと反省しました。
私は今、人生という山の、何合目にいるんだろう。一緒に登ってくれる人、そろそろ現れないかなぁと思い耽りながら、疲れた体をバスの座席に預けて、塔の岳を後にしました。

———-

今年1年ありがとうございました!来年またお会いしましょう!

受付 中西
PAGETOP

医療法人社団 煌の会 山下湘南夢クリニック 院長:山下直樹
〒251-0025 神奈川県藤沢市鵠沼石上1-2-10 ウェルビーズ藤沢4F
TEL:0466-55-5011 FAX:0466-55-5012