医療法人社団 煌の会 YSYC山下湘南夢クリニック

日本生殖医学会認定 生殖医療専門医 不妊治療費助成金指定医療機関 藤沢駅南口徒歩4分 TEL 0466-55-5011

スタッフブログ 山下湘南夢クリニック(YSYC)は、神奈川県藤沢市にある不妊治療を専門とする医療機関です。 そこで働く私たちスタッフが、日々感じた事や不妊治療に関する事を書いています。

  • カテゴリー:YSYCの日常

    2019.10.31

    連日の台風上陸や大雨により、未曽有の被害が各地で発生しています。被災された方々に置かれましては、一日でも早く回復されますようお祈り申し上げます。

    10月22日に「即位礼正殿の儀」がメディアで放映されましたが、私は休暇中であったため、リアルタイムにTVで儀式の様子を見ていました。当日は朝から雨が降っており、どんよりとした空模様でした。13時頃に天皇陛下がお出ましになるというテロップが流れ、どんな衣装でお見えになるのだろうと待っていました。時計が13時を回ったちょうどその時、待っていたかのように、カーテンから眩しい日光が差し込みました。びっくりして外を見ると、雨模様であったはずの空に青色が見え、全身に鳥肌が立ちました(なんと、皇居には虹まで出現したそうです!)。日本は本当に、アマテラスの加護があるのかもしれないですね。

    さて、当院では体外受精を行われた方へ結果を伝える手段として、電話対応を採用しています。電話対応は本人確認が直接できるため、安全で迅速に結果をお伝えできるメリットがあります。分割胚や胚盤胞で凍結を目指す患者様には、凍結結果の確認としてお電話を頂いています。受精したかどうか、凍結できたかどうか、凍結出来なかった場合はどこまで成長したか、を伝えています。電話対応とはこのようなメリットがある一方で、言った言わない、というトラブルがつきものです。特に、凍結確認をいただいた患者様は、当然ながら胚の状態を詳しく聞きたくなると思います。胚盤胞凍結確認の場合、「何日目で凍結出来ましたか?」と質問される方もいれば、「胚のグレードを教えてくれますか?」と言われる方もいます。

    まず、「何日目で凍結出来ましたか?」につきましては、胚盤胞は採卵日を0日目、受精した日を1日目として、5日目から7日目にかけて大きく成長してきます。一般的に5日目胚盤胞が良好な成長速度、7日目胚盤胞は遅い成長速度、と考えられています。いただいたご質問に対し、「5日目です」という回答であれば患者様は安心し、「7日目です」という回答であれば落胆される方もいらっしゃいます。ただ、「何日目?」というご質問は非常にシンプルですので、5日目、6日目、7日目の3種類しか返答の選択肢はなく、後々言った言わない、というトラブルに発展する可能性はほとんどありません。もちろん、胚質の説明としては不十分なことが多いです。

    次に、「胚のグレードを教えてくれますか?」についてです。「グレード」については、分割胚、胚盤胞において色々な評価があります。一般的には、分割胚の評価はVeeck分類を用いた評価法、胚盤胞の評価はGardner分類を用いた評価法が多く用いられています。しかしながら、両評価法ともにあいまいな定義を含んでいるため、施設毎に定めなければならない基準が存在します。特にGardner分類は、細胞数と胚の拡張度合いによる評価であるため、時間という概念が含まれません。つまり、「胚のグレードを教えてください」という要望については、「拡張して透明帯が薄くなるほど拡張した胚盤胞で、細胞はそこそこありますので、評価は4BBになります。」という内容が答えとなり、「5日目で凍結出来た胚盤胞です」という情報は、質問の答えとして成立しないのです。

    加えて当院では、胚盤胞評価の一部にGardner分類を改変して利用しておりますので、口頭で説明するのは不可能ではないのですが、資料もない状況でご理解いただくことは難しいと思います。ネット上で出回っている情報とマッチさせることも難しいと思います(論文検索すればヒットするかもしれません)。つまり何が言いたいかといいますと、「胚のグレードについては、電話にてお答えするのが難しいので、次回来院いただいた際にご説明いたします」という返答になってしまいます、ということです。

     
    胚盤胞評価については、これまでの治療歴から解析し、自信をもってお示しできるデータがあります。しかしながら、複雑な評価方法を電話でお伝えすることで、伝達ミスが生じたり、言った言わないの水掛け論になる事ほど、無駄で悲しい結末はないと思います。

    このことから、やはり直接患者様と顔を合わせ、胚盤胞の写真を一緒に確認しながら評価の説明をさせていただきたく思います。お電話にて胚質に関するお問い合わせをいただきました際は、分割胚であれば「〇〇細胞期で凍結しました」、胚盤胞であれば「〇〇日目で凍結しました」、という返答に限らせていただきます。

     
    電話口での詳細な説明ができず、お気を悪くされる患者様も稀にいらっしゃいます。この点は申し訳なく思っていますが、特に電話の時間帯は多くの患者様からの電話を受けておりますので、この点もご理解いただけますと有難いです。

     
    培養部 河野 博臣
  • カテゴリー:研究内容

    2019.10.28

    すっかり秋になり、金木犀の香りが漂うこの頃ですが、皆様はいかがお過ごしでしょうか?高度生殖医療研究所の室長の中田です。

    9月、10月と関東、東北と猛烈な台風が襲来しましたが、皆様はご無事でしょうか。

    大変な中の方々もどうかお体を大切にされていただきたいと思います。

    私の家は、9月は2日間の停電と断水、10月は5時間の停電、となりました。

    まだまだ、被害の影響が被災地の皆様につらい思いをさせているかもしれません。どうか、一日も早い復旧と日常が戻りますようにと願っています。ご支援に行かれている方々も、お体に気を付けていただけたらと思います。

     
    9月の停電の際は、昨年の旭川の地震の教訓から、水、ガス、充電池2個、ライト数個、を準備していました。充電池は、うちのペットである、アカハライモリ、エビ、2つの金魚の水槽に主に使用し、あとは携帯の充電に使用して、乾電池でつくライトを利用して過ごしました。

    ご飯はかまどさん、という土鍋を使って炊き、ガスコンロでおかずを作りました。

    うちから2駅の場所、職場の藤沢などは、停電もなく、コンビニも開いているので、購入することはできますし、ホテルに宿泊することも可能だったかもしれませんが、私はあえて停電生活を送りました。なぜならば、私の子供たちに緊急事態でも、どんな状況でもできることを教えたかったからです。真っ暗な中でも、ご飯を普通に作ること、それをわずかな明かりの中でもちゃんと食べること、それはいつかの記憶に残ってもらえたらいいなと思ったからです。しかし、本音はとても大変でしたけれど。

     
    10月の台風の後、当クリニックに茨城から通ってくださった患者さんからお米が届きました。毎年、とても美味しくいただいているます。私の親戚からの紹介で通ってこられた方なのですが、もうお子さんは来年小学生になるとのことで、時が経つのは早いなと思うことと、お米とともに元患者さんとお子さんからのお手紙がとても嬉しかったです。

     
    そのお米で、私の大好きなTKG(たまごかけごはん、DAIGO用語ですね)を作っていただいています。そのままいただいてもとても美味しいですが、TKGに納豆やオクラを入れると、もうかなりの御馳走です。キムチを入れたりしても美味しいですし、高菜やたらこをいれても美味しいですね。皆様は、どんなTKGが好きでしょうか。私は、たまごをのせてから、お醤油をかける派です。

    忙しさや実験に熱中していたこともあり、体重の減少が甚だしく、食欲もなく、足元がふらつくこともありましたが、元患者さんが丹精込めて育てたお米で炊いた「美味しいご飯」はとても有難く、体に英気を養ってくれるなと思います。おかげで、体重が戻ってきました。「美味しいご飯」を食べ過ぎないで、ちょうどいい体重を超えないように気を付けないといけませんね。

    10月は実験に明け暮れましたが、11月は生殖医学会もあり、シンポジウムで発表させていただく予定です。年末まで残り少なくなってきましたが、自然災害には適わないことや、人の優しさや、ささやかな言葉ひとつが嬉しくも悲しくも、いろいろなことが勉強になるこの頃です。

    マザーネイチャーへの挑戦、というのは、私の出身大学の発生工学研究室の教授がよく仰っていた言葉ですが、台風への挑戦をしてくれる研究者がいてくれたらいいなと思うこの頃です。私は、精子を守ること、受精、発生、その後の妊娠に結びつくような仕事ができるようにと思っています。

    話は少し変わりますが、私の研究室の入り口には、今までの特許の特許証や商標登録証、海外特許証を飾っています。先週、精子への水素処置の特許証が届き、4つ目となりました。横にはアインシュタイン博士のパネルを置き、「よし、今日も頑張ろう。」と励ましてくれます。そして、今日も実験を進めて、患者さんの皆さんのお役に立てればと思います。

     
     
     
  • カテゴリー:YSYCの日常

    2019.10.26

    先月、友人に誘われ林道探索に行って来ました。
    私は免許を持っていないので運転は出来ませんが、ドライブは
    好きなので面白そうだったので連れて行ってもらいました。
    今回は、静岡県にある林道に行って来ました。
    場所にもよりますが、林道は年の3分の2くらいは閉鎖されている
    ので行ける時期が限られているそうで、行ける時に行かないと
    次の年まで行けなくなってしまうそうです。
    今回、行った場所が他の友人とよく行っていたゴルフ場の近くでした。
    まずは、林道に入る前に休憩。





    そして、林道に入っていきました。



    道を進むにつれ、砂利道がどんどん険しくなってきました。
    友人は道が険しくなるにつれ、どのラインで走行したらスムーズに通れ
    るか一生懸命運転していました。
    失敗すると体が浮いてしまう時もありましたが、そんな時は友人と大笑い。
    車は普通のコンパクトカーなのですが、色々補強してあるので、ある程度
    の衝撃にも耐えられます。






    林道を走っている途中、小川があったので少し休憩。
    座りっぱなしは疲れるので、車から降りて緑に囲まれた自然の中で深呼吸
    ・・・はいいのですが、一つ大きな問題がありました。
    私の大の苦手な虫です。
    アブが何匹も飛んでいて堪りませんでした。
    私は写真を取ったら速攻で車へ避難しました。



    林道もそろそろゴールだろうと思ったその時です。
    なんと、林道から一般道へ出るゲートが閉まっているではありませんか。
    鍵がかかっていない場合もあるので、車を降りて確認すると南京錠がかか
    っていました。
    入って来る所のゲートは開いていたのに、出口が閉まっているとは全く
    思ってもみませんでした。
    どうやってもそこから出る事は出来ないので、登りと下りを走れたと思え
    ばいいかと、来た道を戻って行きました。
    往復したお蔭で、その後の予定が狂ってしまいその後に行こうと思っていた
    カフェには行けませんでしたが、自然を楽しんでスッキリした1日でした。

    受付 清水
  • 2019.10.26

    去る8月29日に愛犬のサクラが亡くなりました。

     
    サクラは、私が16年前に大阪のクリニックで勤務することになった時飼い始めたミニチュアダックスフンドです。

    ゴールドの毛並みの小柄なミニチュアダックスを希望してダックス専門のブリーダーを訪れると、ほぼ希望通りの毛色と体格をした子犬を見せてくれました。しかし、素人目にも病弱そうで、抱き上げると手の中でうずくまり、小さく震えていました。

    「可愛いけど、ちょっと元気がなさそうですね。」

    と尋ねる私に

    「いや、生まれたての子犬はみんなこんなもんだよ。」

    とブリーダーさんは答えました。

    そんな立ち話を交わす私たちの足元に置かれた段ボールの中で、ぴょんぴょん飛び跳ねている仔犬がいました。手を差し出すと指先をぺろぺろ舐めて愛嬌たっぷりにクルクル回って、まるで私を連れてってと主張しているようでした。

    「このワンちゃん元気ですね。ちょっと毛色が濃くてレッドみたいけどこの子犬もゴールドですか?」

    と尋ねると、

    「成犬になると毛色がだんだん薄くなってくるからこの犬もゴールドになるよ。体格も育て方次第でいくらでも華奢にできるよ。」

    と返事が返ってきました。

    毛色と体格は希望通りではなかったのですが、小さな顔に不釣り合いなほどの大きな垂れ耳とクリクリしたつぶらな瞳が可愛くて、この子犬を連れて帰ることにしました。それが、サクラとの出会いでした。

    帰り道の電車で、膝に乗せた段ボールに開けた空気穴から小さな鼻先を出して外の気配をしきりにうかがっているサクラの仕草が、他のお客さんの微笑みを誘いました。

     
    住まいのあった兵庫県西宮市夙川は、六甲山から香櫨園浜に注ぐ夙川の両岸に立派な桜並木のある遊歩道が整備され、花見の頃には桜色の帯が川を縁取るように山から海まで続く美しい所でした。

    当時の私は勤務を終えて帰宅すると片手にテニスラケットを持ち、夙川の河岸をまず山へ向かい折り返して海までジョギングし、防波堤のコンクリート壁でテニスの壁打ちをすることを日課にしていました。そのため、サクラの足腰がしっかりしてきた頃から散歩がてらに私の日課にサクラを付き合わせることにしました。

    散歩の途中、見た目にも上品で高価そうな毛並みのダックスを連れているおじさんから、“ダックスは腰椎ヘルニアになりやすいから階段の上り下りはさせちゃいけない。段差は抱き上げるように注意しないといけないよ。”とアドバイスを受けながらも、サクラは歩道橋の階段を勢いよく駆け上がり駆け下り、桜並木の下を疾走し、六甲山の岩山をずり落ちそうになりながらもガッツで制覇し、海に着くとためらうことなく飛び込み、砂浜で砂まみれになってはしゃいでいました。海から心地よい風が吹くとサクラの大きな垂れ耳は風にたなびいて、このまま空に舞いあがってどこか行ってしまうのではないかと思いました。

    上品とか華麗などとは無縁なサクラでしたが、クリクリした目と優しい気立てで、すれ違う人から“可愛いワンちゃんですね。”とよく声をかけられたものでした。

     
    夙川から新宿そして藤沢と私の勤務地が変わっても、サクラは変わることなくいつも私の傍にいてくれました。

     
    病気ひとつせず元気さと食欲が取り柄のサクラでしたが、二年ほど前から急速に老いが忍び寄ってきました。眠っている時間が多くなりました。耳が遠くなり名前を呼んでも気づかなくなりました。最後までゴールドにはならなかったレッドの毛並みも口吻の周囲に白毛が目立つようになり老犬らしい風貌になってきました。散歩に出てもよたよた重そうで、すぐに立ち止まり“もう、しんどい”とでも言っているように上目遣いにこちらを見上げるので、抱いて帰ってくることも多くなりました。そして、乳癌の手術も受けました。

    犬の一年は人間の六,七年にあたるそうですから、サクラも優に80才を越えたおばあさんです。サクラの変わりゆく姿を見ていると、年老いていくことがどういうものなのか、早送りのビデオを間近で見せてもらったような気がします。

     
    様々な感覚や能力が失われていく中で、サクラらしく食欲は晩年まで衰えを知りませんでした。ドッグフードだけしか与えないと“ウー、ワン(えー、何これ!!)”と一言文句を言ってからしぶしぶ食べ始めました。私が帰宅するとなにかおやつがもらえるはずだと考えて、ヨタヨタした足取りで私の後をストーカーのようについて回りました。私が風呂に入っている時は浴室のドアの外で忠犬ハチ公よろしくじっと待っていました。私にはよく怒られたものですが、サクラは私のことをとても慕ってくれたように思います。

     
    そんなサクラとの穏やかな日々は突然に幕を閉じることになりました。

    家を空ける用事がありペットホテルに預けたサクラを迎えに行く日、ペットホテルから“サクラちゃんの呼吸が止まって心停止が来ています。今からすぐに動物病院へ連れて行きます”と連絡が入りました。クリニックの診療を終えて動物病院に駆けつけるとサクラは緊急蘇生を受け一命はとりとめたもののビニールで覆われた酸素室で浅い息を頻回にしながら空ろな目をして横たわっていました。

    “運ばれてきた時は心停止が来ていて、蘇生で回復しましたが、いつ亡くなってもおかしくない状態です。病院の方で様子を見て何かあったらすぐにお知らせするのでもよいですし、お家に連れて帰って家族の方で見守って下さってもよいです。”

    と獣医さんは話されました。

    サクラには温かな環境の中で旅立ってほしかったので、酸素室一式を車で運んでもらい家に連れて帰ることにしました。家に着くと、見慣れた景色、いつもの匂いに元気づけられたのかサクラは頭を持ち上げたり、少しだけ立ち上がったりしました。そして、我が家に初めてやって来た日、車中で段ボールから鼻先をのぞかせていた時と同じように、酸素室の扉から乾いた鼻先を出して辺りの様子を懐かしんでいました。

     
    浅い呼吸の度に波打つお腹や、端の方が縮れて面影の無くなってしまった垂れ耳を撫ぜているとサクラとの様々な思い出が蘇ってきました。

     
    翌日、診療を早目に切り上げて六時少し前に帰宅するとサクラは横たわりながら私を迎えてくれました。そして、着替える間もなく六時十分に、私の帰宅を待っていてくれたかのように下顎呼吸を3-4回した後、潔いほどにあっさりと息を引き取りました。

    16回目の誕生日を翌日に控えた夕刻でした。

     
    葬式の日、斎場の方が「小型犬の老犬は焼くと骨が薄くて簡単に割ることができるんですけど、とてもしっかりした骨のワンちゃんですね。」と驚いていました。その言葉を聞いて、サクラのことを誇らしく思いました。

     
    サクラがいなくなって早や二か月になります。

    帰宅しても、ヨタヨタとした足取りでストーカーされることもなければ、温かい毛並みを撫ぜることも叶わなくなりました。けれども、浴室の扉の向こうには今でもサクラが待っていてくれるように思います。サクラは家族それぞれの心の中に、いろいろな形をした記憶としてしっかりと生き続けていると思います。

     
    私の父は三年前に亡くなった母がまだ生きていると信じていて、私の顔を見るたびに“かあさんは?”と尋ねます。その度に、母は父の記憶の中で間違いなく今も生きているんだと感じさせられます。

     
    死というものは絶対の別れのように言われます。しかし、残された人々の心の中に、記憶に姿を変えて生き続けるのだと思います。きっと、その人のことを思い、記憶する人が誰もいなくなった時、本当の死が訪れ、人は無に帰っていくような気がします。

     
    死というものがどういうものなのか、最近少しだけわかってきたように思います。

     


     
     
     
     
     
    2019年10月25日   院長 山下直樹
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