医療法人社団 煌の会 YSYC山下湘南夢クリニック

日本生殖医学会認定 生殖医療専門医 不妊治療費助成金指定医療機関 藤沢駅南口徒歩4分 TEL 0466-55-5011

スタッフブログ 山下湘南夢クリニック(YSYC)は、神奈川県藤沢市にある不妊治療を専門とする医療機関です。 そこで働く私たちスタッフが、日々感じた事や不妊治療に関する事を書いています。

  • 2020.04.28

    若い頃から時間通りに予定を済ませることにこだわるところがあって、予定通りに事が運ぶととても充実した気持ちになれます。

     
    医師になり時間に追われる毎日を送るようになってからは、なおさらその傾向が強くなりました。予定がたくさん詰まっていても、何時何分までにこれをして、それから何時何分までにあれを済ませて、予定時刻通りに仕事を終えるというように、段取りを組みいつも一つ先、二つ先のことを考えて仕事をしてきました。心と頭の準備をして事に臨んでいると、たとえ突発的なことに出くわしても多くの場合筋書通りに事を運ぶことができたように思います。

     
    産婦人科の手術を数多くしてきましたが、手術の時も何時までに臓器を摘出し、何時までにリンパ節を隔清し、予定時刻通りに創を閉じて終了するというように、滞ることなく流れるように、そして静かに進んでいく手術を理想の手術として常に心がけてきました。

    一見タイムテーブル通りに物事を進めることは、時間を優先してしまいやるべきことをおざなりにしがちなように聞こえますが、できるところは徹底的に、危ないところは必要以上に執着せずに見切りをつける勇気を持ち、滞ることなくパニックに陥らないように進めた方が結果的には良い手術になることを肌で感じてきました。

     
    画家や文筆家のように一人でする仕事なら自分が納得するまで一筆のタッチや、一字一句にこだわり、妥協せずに時間を使えばよいと思いますが、チームワークで行う仕事では自分のペースだけで仕事を進めることは、周りのスタッフの集中力と協調性がどんどん薄れていき、得てして誰も満足のいかない仕事になりがちです。

     
    これは、ちょうどオーケストラと同じで、指揮者だけが独り力んで自分の思い通りにタクトを振っても演奏者との間で気持ちが共有できなければ、美しいハーモニーを紡ぎ出すことができないのと同じだと思います。

     
    何事も先を読み、そして周囲との調和を忘れないことが良い仕事をするためにとても大切であると私は考えています。しかし、そのような生活を何十年も送ってくると一種の職業病のようなもので、日常の会話や食事などを含めて何をするにつけても、その時やっていることに夢中にならず、少し冷めたところで次の時間のことを考えている自分がいることに気づかされます。

     
     
    終わりの見えないCOVID-19の世界的な流行は、世界中の人々の考え方、生き方に大きな影響を与えたように思います。

     
    豪華なクルーズ船で世界を旅して人生の幸福を享受していた老夫婦が数週間後には予期せぬ別れを迎えたり、ついこの間まで元気に笑いを振りまいていた芸能人の訃報のテロップが突然テレビ画面に流れたり、さらに心痛むのは、長い間介護してきた親や長年連れ添ってきた伴侶に闘病の激励をすることも臨終に立ち会うことも許されず、再びの対面が小さな木箱に収められた遺骨とであったり、やりきれない不合理と深い悲しみと人生のはかなさを感じさせられる日々が続いています。

     
    一か月後に世の中がどうなっているのかわからない、仕事があるのか、自分が生きているのかさえわからない、この不確実な状況は誰にとっても息が詰まるような苦しい時間です。そして、予定通りに時間を送ることが身に沁み込んでしまった私にとってもとてもストレスが溜まる時間となりました。

     
    けれども、誰に文句を言っても怒りをぶつけてもCOVID-19の蔓延を解決できるわけではなく、変わらずに流れていく時間の中で自分自身がどのように生きるかを考えるのが一番の良策のように思います。

    そこで、先のことばかり考えて、今を心から楽しまなくなった自分の時間の過ごし方をリセットしようと考えました。

     
    食事は一口を食べたら口の中にある間は次の一口を口に入れない。

    目を閉じて噛みしめていると、この食材はこんな味がしたんだと新鮮な発見が一噛み毎に滲み出てきます。

    道端に花をつけている野草に足を止めて目をやる。

    昨日はハコベ、今日はヒメジオン。自然の造形の素晴らしさに改めて驚かされます。

    スマホから目を離し、車窓を流れていく穏やかな里山の風景を眺める。

    祖父母の家で過ごした懐かしい記憶が蘇ってきます。

    そして、家族との会話に無心に耳を傾ける。

    今を無事に生きている感謝の気持ちが湧いてきます。

     
    時の流れの中に浮かんでいる自分の心を、明日そして将来から今日そして今この時にシフトすると、子供の頃に失くしてしまった今を味わう豊かな時間の過ごし方が蘇ってくるような気がします。

     
    “一生の間にこんな時を経験できてよかったのかもしれない”と少しでも振り返れるように、強くそして柔軟な気持ちを持ってCOVID-19終息の日を待ちたいと思います。

     
    皆様の健康を心からお祈りしています。

     
    2020年4月28日 院長 山下直樹
  • 2020.04.12

    コロナ感染症が地球規模で猛威を振るっています。

     
    日本でも緊急事態宣言が人口密集地域を中心に発令され、いくつかの業種に対して休業要請が出されました。

     
    このような状況の中で、4月1日日本生殖医学会は妊娠中にコロナウィルスに感染した場合の胎児への影響が正確にはわかっていないこと、そして、妊婦さんに対する治療法が確立していないことから、体外受精/顕微授精した受精卵を移植せずに凍結保存し、コロナ感染症が終息したのちに移植することを勧めるという声明を出しています。

     
    そして、この声明を受けて、当分の間生殖治療を中止する施設が数多く出ています。

     
    一方、日本産婦人科学会は妊婦さんに対してコロナウィルス感染症にかからないための注意事項をホームページに何度も掲載していますが、コロナウィルス感染症蔓延中の妊娠の回避や避妊の勧めについては言及していません。

     
    このような現況の中で、いくつかの疑問点が生じてきます。

     
    胚移植するかしないかの判断は、この時期に妊娠を目指すメリットとデメリットの客観的な説明(患者さんの心理を医師の考えに誘導する情緒的な説明は不可)を受けた患者さん御夫婦が自分達の判断で決めるべきもので、生殖医療施設(医師)が一方的に胚移植を休止すると決める権利があるのか?

     
    時間的に余裕のない(年齢が高い)方が多い生殖医療を受けている患者さんの妊娠のチャンスをコロナ終息まで控えるより、生殖医療を受けていない時間的に余裕のある(年齢の若い)方の妊娠の回避、避妊の奨励を進める方が優先順位として高いのではないか?

     
    コロナウィルス感染症の終息までの期間が不明であり(数か月から数年)その期間妊娠を控えることが産科的リスク(妊娠に起因する高血圧症、糖尿病や難産、早産、分娩時多量出血など)の増大につながり、コロナウィルス感染症蔓延中の妊娠と比較してどちらが悪影響が大きいのか?

     
    受精卵の凍結を勧める一方で、その凍結費用や保管料等は誰が払うのか?

     
    私は、子供を持つことが人生を豊かなものにする唯一の方法だとは考えていませんが、子供を持つことはその人の人生を変えうるほど大きな力を持つ数少ない出来事のひとつだと信じています。そして、挙児を希望される一組でも多くのご夫婦の夢が叶なうように昼夜を問わず働いてきました。

     
    コロナウィルス感染症感染爆発による医療の崩壊を防ぐことはもちろん重要ですが、それが生殖医療の崩壊にもつながることないように、ウィルス感染の防御には最大限の注意を払いながら、患者さんひとりひとりの治療背景を適切に判断し、治療の継続、中断を御助言していければと考えています。

     
    院内の患者さん密度下げるための診察時間の変更や院内でのマスクの着用、手指消毒等、皆様のご協力が必要です。何卒、よろしくお願い致します。

     
    2020年4月12日   院長 山下直樹
  • 2019.10.26

    去る8月29日に愛犬のサクラが亡くなりました。

     
    サクラは、私が16年前に大阪のクリニックで勤務することになった時飼い始めたミニチュアダックスフンドです。

    ゴールドの毛並みの小柄なミニチュアダックスを希望してダックス専門のブリーダーを訪れると、ほぼ希望通りの毛色と体格をした子犬を見せてくれました。しかし、素人目にも病弱そうで、抱き上げると手の中でうずくまり、小さく震えていました。

    「可愛いけど、ちょっと元気がなさそうですね。」

    と尋ねる私に

    「いや、生まれたての子犬はみんなこんなもんだよ。」

    とブリーダーさんは答えました。

    そんな立ち話を交わす私たちの足元に置かれた段ボールの中で、ぴょんぴょん飛び跳ねている仔犬がいました。手を差し出すと指先をぺろぺろ舐めて愛嬌たっぷりにクルクル回って、まるで私を連れてってと主張しているようでした。

    「このワンちゃん元気ですね。ちょっと毛色が濃くてレッドみたいけどこの子犬もゴールドですか?」

    と尋ねると、

    「成犬になると毛色がだんだん薄くなってくるからこの犬もゴールドになるよ。体格も育て方次第でいくらでも華奢にできるよ。」

    と返事が返ってきました。

    毛色と体格は希望通りではなかったのですが、小さな顔に不釣り合いなほどの大きな垂れ耳とクリクリしたつぶらな瞳が可愛くて、この子犬を連れて帰ることにしました。それが、サクラとの出会いでした。

    帰り道の電車で、膝に乗せた段ボールに開けた空気穴から小さな鼻先を出して外の気配をしきりにうかがっているサクラの仕草が、他のお客さんの微笑みを誘いました。

     
    住まいのあった兵庫県西宮市夙川は、六甲山から香櫨園浜に注ぐ夙川の両岸に立派な桜並木のある遊歩道が整備され、花見の頃には桜色の帯が川を縁取るように山から海まで続く美しい所でした。

    当時の私は勤務を終えて帰宅すると片手にテニスラケットを持ち、夙川の河岸をまず山へ向かい折り返して海までジョギングし、防波堤のコンクリート壁でテニスの壁打ちをすることを日課にしていました。そのため、サクラの足腰がしっかりしてきた頃から散歩がてらに私の日課にサクラを付き合わせることにしました。

    散歩の途中、見た目にも上品で高価そうな毛並みのダックスを連れているおじさんから、“ダックスは腰椎ヘルニアになりやすいから階段の上り下りはさせちゃいけない。段差は抱き上げるように注意しないといけないよ。”とアドバイスを受けながらも、サクラは歩道橋の階段を勢いよく駆け上がり駆け下り、桜並木の下を疾走し、六甲山の岩山をずり落ちそうになりながらもガッツで制覇し、海に着くとためらうことなく飛び込み、砂浜で砂まみれになってはしゃいでいました。海から心地よい風が吹くとサクラの大きな垂れ耳は風にたなびいて、このまま空に舞いあがってどこか行ってしまうのではないかと思いました。

    上品とか華麗などとは無縁なサクラでしたが、クリクリした目と優しい気立てで、すれ違う人から“可愛いワンちゃんですね。”とよく声をかけられたものでした。

     
    夙川から新宿そして藤沢と私の勤務地が変わっても、サクラは変わることなくいつも私の傍にいてくれました。

     
    病気ひとつせず元気さと食欲が取り柄のサクラでしたが、二年ほど前から急速に老いが忍び寄ってきました。眠っている時間が多くなりました。耳が遠くなり名前を呼んでも気づかなくなりました。最後までゴールドにはならなかったレッドの毛並みも口吻の周囲に白毛が目立つようになり老犬らしい風貌になってきました。散歩に出てもよたよた重そうで、すぐに立ち止まり“もう、しんどい”とでも言っているように上目遣いにこちらを見上げるので、抱いて帰ってくることも多くなりました。そして、乳癌の手術も受けました。

    犬の一年は人間の六,七年にあたるそうですから、サクラも優に80才を越えたおばあさんです。サクラの変わりゆく姿を見ていると、年老いていくことがどういうものなのか、早送りのビデオを間近で見せてもらったような気がします。

     
    様々な感覚や能力が失われていく中で、サクラらしく食欲は晩年まで衰えを知りませんでした。ドッグフードだけしか与えないと“ウー、ワン(えー、何これ!!)”と一言文句を言ってからしぶしぶ食べ始めました。私が帰宅するとなにかおやつがもらえるはずだと考えて、ヨタヨタした足取りで私の後をストーカーのようについて回りました。私が風呂に入っている時は浴室のドアの外で忠犬ハチ公よろしくじっと待っていました。私にはよく怒られたものですが、サクラは私のことをとても慕ってくれたように思います。

     
    そんなサクラとの穏やかな日々は突然に幕を閉じることになりました。

    家を空ける用事がありペットホテルに預けたサクラを迎えに行く日、ペットホテルから“サクラちゃんの呼吸が止まって心停止が来ています。今からすぐに動物病院へ連れて行きます”と連絡が入りました。クリニックの診療を終えて動物病院に駆けつけるとサクラは緊急蘇生を受け一命はとりとめたもののビニールで覆われた酸素室で浅い息を頻回にしながら空ろな目をして横たわっていました。

    “運ばれてきた時は心停止が来ていて、蘇生で回復しましたが、いつ亡くなってもおかしくない状態です。病院の方で様子を見て何かあったらすぐにお知らせするのでもよいですし、お家に連れて帰って家族の方で見守って下さってもよいです。”

    と獣医さんは話されました。

    サクラには温かな環境の中で旅立ってほしかったので、酸素室一式を車で運んでもらい家に連れて帰ることにしました。家に着くと、見慣れた景色、いつもの匂いに元気づけられたのかサクラは頭を持ち上げたり、少しだけ立ち上がったりしました。そして、我が家に初めてやって来た日、車中で段ボールから鼻先をのぞかせていた時と同じように、酸素室の扉から乾いた鼻先を出して辺りの様子を懐かしんでいました。

     
    浅い呼吸の度に波打つお腹や、端の方が縮れて面影の無くなってしまった垂れ耳を撫ぜているとサクラとの様々な思い出が蘇ってきました。

     
    翌日、診療を早目に切り上げて六時少し前に帰宅するとサクラは横たわりながら私を迎えてくれました。そして、着替える間もなく六時十分に、私の帰宅を待っていてくれたかのように下顎呼吸を3-4回した後、潔いほどにあっさりと息を引き取りました。

    16回目の誕生日を翌日に控えた夕刻でした。

     
    葬式の日、斎場の方が「小型犬の老犬は焼くと骨が薄くて簡単に割ることができるんですけど、とてもしっかりした骨のワンちゃんですね。」と驚いていました。その言葉を聞いて、サクラのことを誇らしく思いました。

     
    サクラがいなくなって早や二か月になります。

    帰宅しても、ヨタヨタとした足取りでストーカーされることもなければ、温かい毛並みを撫ぜることも叶わなくなりました。けれども、浴室の扉の向こうには今でもサクラが待っていてくれるように思います。サクラは家族それぞれの心の中に、いろいろな形をした記憶としてしっかりと生き続けていると思います。

     
    私の父は三年前に亡くなった母がまだ生きていると信じていて、私の顔を見るたびに“かあさんは?”と尋ねます。その度に、母は父の記憶の中で間違いなく今も生きているんだと感じさせられます。

     
    死というものは絶対の別れのように言われます。しかし、残された人々の心の中に、記憶に姿を変えて生き続けるのだと思います。きっと、その人のことを思い、記憶する人が誰もいなくなった時、本当の死が訪れ、人は無に帰っていくような気がします。

     
    死というものがどういうものなのか、最近少しだけわかってきたように思います。

     


     
     
     
     
     
    2019年10月25日   院長 山下直樹
  • 2019.07.27

    今年91歳になった父は、母が亡くなる少し前に介護施設に入所して三年になります。

    もとはホテルだった建物を改装して作ったその施設には、たっぷりとしたソファが何脚も並んだ広いガラス張りのロビーがあり、錦鯉の泳ぐ日本庭園が眺められます。その四階の個室に父は入居しています。親戚からはこんな立派な施設に入ることができてお父さんは幸せ者だねと言われます。

    父は破天荒な人生を生きた人でした。裸一貫から事業を起こし、順風満帆な時と逆境の時を繰り返し生きてきました。羽振りの良い時には金沢の一等地に豪華な家を建て、当時は珍しかった外車に乗り、日本全国津々浦々家族を旅行に連れて行ってくれました。

    逆境の時には、すべての資産を失い、唯一残った工場の二階に急ごしらえの部屋を作り、家族四人で過ごしたこともあります。良い時の意気揚々とした父の姿を知っているだけに、肩を落とした父の後ろ姿は子供心にもとても悲しい光景でした。子煩悩でユーモアがあって家族を深く愛する一方で、短気で、浮気性で、酒飲みで、母を泣かせたり従業員を怒鳴りつけたりする父の姿は、思春期になった頃の私には煩わしく、なんでこんな父親のもとに生まれたのだろう、もう少し穏やかな家庭に生まれたかったと思うこともしばしばでした。

     
    月に二度、土曜日の外来診療が終わると藤沢駅に急ぎ、夕刻に東京駅を出発する北陸新幹線に乗り故郷の金沢に向かいます。そして、日曜日に母の墓に参り、父を見舞い、住む人のいなくなった実家の郵便物などの整理をします。週明け月曜の一番列車で金沢から藤沢に戻り、また新たな一週間の仕事に取り掛かるのがここ数年の二週間に一度の私の慣例になっています。

     
    最近は、墓参りの代行業が繁盛しているとか、先祖代々の墓を放棄する人が増えているとか殺伐としたニュースが報道されていますが、私は墓参がとても好きです。花と水桶を携え、高台にある墓へ続く坂道を登っていきます。墓に着くと、遠くに日本海が輝いていて、心地よい海風が街を越えて渡ってきます。強い風に消えてしまいそうになる蝋燭の炎に手をかざしてようやく線香に火を点すと、揺らめく白煙とともに昔と変わらない香りが広がり、お盆に両親の実家に遊びに行った子供の頃の懐かしい思い出が蘇ってきます。春にはウグイスがさえずり、夏の蝉しぐれ、秋には紅葉、そしてしんしんと降り積もる雪、季節それぞれの風物詩が時の流れを感じさせてくれます。目を閉じて、手を合わせると静かで穏やかな時空にいざなわれ、日々の生活でささくれだった心が癒されていく気がします。

     
    墓参をすませた後、父のいる介護施設に向かいます。娘たちは“おばあちゃんのお墓参りの後におじいちゃんのお見舞いって、お父さんはいつも順番が逆だね。”と笑います。けれども、自然とこの順番になってしまいます。

     
    金沢に帰ると欠かすことなく父を訪ねてきた私ですが、実を言えば、父の見舞いは気が重い、ある意味、義務のようなものに感じてきました。疲れている時など“今日は見舞いに行くのやめようかな”とこぼす私に“行った方がいいよ。おじいちゃん待ってるよ。”という家族の後押しに支えられて、渋々見舞いに行ったことも何度かあります。我ながら親孝行とは呼べない息子だなと思うのですが…。

     
    父が嫌いでもないのにどうしてこんな気持ちになるのだろうと考えるのですが、きっとそれは、自由奔放に生きてきた父が、大好きだった酒も飲めず、最良の話し相手であり喧嘩相手でもあった母と話すこともなく、食事と排泄とたまの入浴以外はベッドの上で眠っている生活が、自由を奪われた鳥かごの鳥のように思えて、-父はこの生き方に満足しているのだろうか?口には出さないけれど本望ではない苦しい時間を送っているのではないだろうか?-などと考えてしまい、いたたまれない気持ちになってしまうのです。

    “もう帰るの。もう少し一緒にいてあげようよ。”という家族の言葉を背に、“じゃあ、帰るね。また来るよ、なにか欲しいものはない?”

    と耳の遠くなった父の耳元で声をかけ、それから手を握って部屋を後にします。

    父は弱った足で部屋の戸口までよたよた見送りに出て、手でコップの形を作り口元に運び、一言“ビール”と言って皆を笑わせます。そして、“また、来てね。”とエレベータの扉が閉まって私たちが見えなくなるまで小さくゆっくりと手を振ります。

     
    今日も食堂で、一言も話さず、一粒も米粒を残さずに食べ、そして、箸を綺麗にそろえ、口を拭った濡れナプキンをきちんとたたんで食事をとっていると思います。

    施設の職員に“かあさんは、どこ行った?”と声をかけながら、帰ってくるはずのない母をエレベーターホールの椅子に腰かけ待っていると思います。

    衰えていく肉体と、薄れてゆく精神の中で、父は父なりに穏やかで静かな時間を過ごしているのかもしれません。

    そう思うと、新幹線の車窓を飛ぶように流れていく景色を眺めている私が幸せで、古い町並みの上をゆっくりと流れていく白い雲を部屋の窓から見ている父が不幸だというのはただの私の思い上がりに過ぎないように思えてきます。

    今度は少し明るい気持ちで父の見舞いに行けそうな気がします。

     
     
     
    2019年7月27日 院長 山下直樹
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