医療法人社団 煌の会 YSYC山下湘南夢クリニック

日本生殖医学会認定 生殖医療専門医 不妊治療費助成金指定医療機関 藤沢駅南口徒歩4分 TEL 0466-55-5011

スタッフブログ 山下湘南夢クリニック(YSYC)は、神奈川県藤沢市にある不妊治療を専門とする医療機関です。 そこで働く私たちスタッフが、日々感じた事や不妊治療に関する事を書いています。

  • 2021.05.23

    ちょうど50年前、亡くなった両親がふたりで力を合わせて家を建てました。

     
    金沢市の街中にある金沢城公園や兼六園から続く本多の森の一角に土地を買い、そこで自分たちの夢を作り上げました。前半分が屋上がベランダになっている鉄筋づくり、後ろ半分が和風の木造づくりという当時としては洒落た造作の大きな建物でした。庭には山紅葉や五葉松に囲まれて池があり、石組みの間から流れ落ちる滝の下を錦鯉がゆったりと泳いでいました。

    二階の裏手にあった私の部屋は窓を開けると本多の森の竹林が迫り、街中にもかかわらず春には筍が取れ、夏には蝉時雨が降り注ぎ、狸の親子が笹藪の間から顔を出す四季折々の風物詩に溢れる家でした。

     
    兄と私が進学や就職で家を離れた後も、父は庭木の剪定や雑草取りそして冬の雪吊りなど庭の手入れに精を出し、母は手作りの木目込み人形やアートフラワーで家を飾りました。

     
    5年前に母が亡くなり、時を同じくして介護施設に入所した父も再び家に帰ることなく昨年他界し、家は主を失ってしまいました。

     
    空き家となった実家をできるだけ両親が住んでいた頃のままの姿で残していくことが一番の親孝行になるような気がして、月に二度藤沢から金沢に帰った際に実家の様子を見に行くようになりました。

     
    玄関の扉を開けると、前に訪れた時と変わらない静まり返った空間が待っています。郵便受けから押し込まれ玄関に散乱したダイレクトメールが住む人のいない家の寂しさを募らせます。家中の窓を開けて二週間分の寂しさの浸みこんだ澱んだ空気を入れ替えます。世話をされなくなったこの家の私に対する恨み節なのか、窓や障子を開けようとしてもガタガタ、ギシギシ軋んだ音を立て、開けるのに苦労する箇所が増えていきました。

     
    春と秋に植木屋に頼み庭木を剪定してもらいました。それでも、夏には雑草が生い茂り、雪吊りをしなかったために雪の重みで傷ついた枝が目立つようになりました。

    “住む人のいない家は日に日に朽ちていく”

    よく耳にする言葉ですが、実家を訪れる時間はこの言葉の重みを実感させられる時間となりました。

     
    時の流れとともに、家も庭も端正のとれた美しい佇まいを急速に失っていきました。

     
    風の強い日に裏木戸の扉がバタンバタン音を立ててうるさいので何とかしてほしい。

    軒下にスズメバチが大きな巣を作っている。怖いから何とかしてほしい。

    落ち葉が溝に詰まって後始末が大変だ。

    などなど、近所の人たちから苦情が届くようになりました。

     
    それでも、この家を残したいという義務感にも似た私の思いは強く、この5年間ご近所さんからの苦情にひとつひとつ対処し、容赦なく生えてくる雑草を刈り、空気を入れ替え、ダイレクトメールを処分してきました。

    しかし、忍び寄る老朽化は止めようがありませんでした。手を入れて小さな旅館や料亭にでもした方が両親が大切にしてきた家や植栽を生かすことになるかもしれないと考え不動産屋に相談にも行きました。丁度、民泊ブームで買い手が現れ、話がまとまる寸前までいきましたが、コロナ騒ぎでそんな話も立ち消えになってしまいました。

     
     
    今年の正月は例年にない大雪で、膝の高さまで積もった雪がベランダに長い間根雪となって残っていました。日差しが暖かくなり雪が融けた後も排水口が詰まったのかベランダはまるでプールのように一面に水を湛えていました。排水口にたまった落ち葉を取り除いて水を流さなければいけないと思いながらも、自然に蒸発して水がなくなってくれればと期待して、何もしない時間が過ぎていきました。

     
    そんな矢先、いつものように実家を訪れ玄関の扉を開けると天井に大きな黒いシミが広がっていることに気づきました。嫌な予感を胸に、茶の間に入ると目を疑う光景が眼前に広がりました。茶の間一面に白い綿のようなものが敷きつめられ畳が見えなくなっていました。目を凝らすと白いカビが茶の間全体を覆いつくしているのでした。ベランダから天井に浸み込んだ水気の仕業であることは誰が見ても明らかでした。

     
    気を取り直し、ほかの部屋の様子を見に行きました。

    座敷に続く絨毯が敷かれた廊下の向こう端に小さな茶褐色の塊が横たわっていました。背筋に寒いもの感じながら近寄ってみると、それは雀の亡骸でした。どこから入ったのか、春の陽射しの中でそれはとてもとても寂しい姿でした。

     
    この日見た光景は、私にこの家とお別れする時が来たことを納得させるのに十分なものでした。

     
    実家を残したいという思いを叶えることができなかった無念さに早く踏ん切りをつけたくて、自宅に戻るとすぐに解体業者を探しました。

     
    解体が始まりました。

    3台のショベルカーの前では年老いた家は抵抗も空しく、驚くほどの速さでその姿を失っていきました。庭を飾った山紅葉や五葉松も、多くの人を迎えた応接間や座敷も、そして、学生時代を送った私の部屋もただの瓦礫となりダンプに積まれ運ばれていきました。

     
    この場所で演じられた悲喜こもごも多くの思い出が、更地を吹き抜ける風と共に消し去られていくようでした。

     
    “夏草や兵どもが夢のあと”

    緑色のパイロンに囲まれ何もなくなった空き地を前に佇むと、芭蕉の句が心を通り過ぎていきました。

     
    いろいろな人のいろいろな時間が流れて、そして、全てが跡形もなく消え去っていきました。

     
    見知らぬ誰かがこの更地をキャンバスにして、新たな絵を描いていくのかもしれません。



     
     
     
     


     
     
     
     
     
     


     
     
     
     
     


     
     
     
     
     
     


     
     
     
     
     
     
    2021年5月24日  院長 山下直樹

     
     
  • 2021.03.02

     
    コロナワクチンの接種がようやく日本でも医療従事者を皮切りに始まりました。
    インターネットやテレビはワクチン関連のニュースで毎日持ちきりです。
     
    そんなニュースの中で印象的で考えさせられたものがいくつかあります。
     
    欧米ではコロナに感染しても重症化しにくい若い世代へのワクチンの接種開始に向けて臨床試験が始まったそうです。そんな臨床試験にボランティアで参加した高校生の女の子が
    “年少者のワクチン接種の道を拓く臨床試験に参加できてとても光栄だわ!”
    と誇らしげに笑顔でインタビューに答えていました。
    まだ高校生なのに自分の考えを持ったしっかりした女の子だと感心してしまいました。
     
    同じころ、日本で始まった医療従事者向けの予防接種を受けた男性がワイドショーのリポーターに感想を聞かれて、
    “ワクチンの効果のモルモットにされている気がして複雑だ。”
    と苦笑いを浮かべて答えていました。
    ワクチンの接種は本人の自由意志に任されていて、しかも一日でも早いワクチン接種を心待ちにしている大勢の人がいる中で、文句だけは言うけれど自分では何も判断できない情けない人に私には映りました。
     
    イスラエルでは国民の半数以上がすでにワクチンを打ち終えていて、ちょうど何百万人目かのワクチン接種者になった老人が首相や関係者と笑顔で握手している姿が放映されていました。
     
    このニュースに対して、日本の感染症専門家と言われる老先生がZoom画面の向こう側で
    “予防接種が始まっても拙速は絶対に避けなければならない。”
    と力説していました。
    彼によると、判断を急がず、他国のワクチン接種の効果や副反応の様子を見ながら慎重にワクチン接種を進めていかなければならないそうです。
     
    この方の意見を聞いて思い出されたのが、エピネフリンという薬剤の使用に対する米国と日本のスタンスの違いです。
     
    様々な薬剤や卵、蕎麦、ナッツ類などの食材そして蛇や蜂などの毒等で起こる急激で重篤なアレルギー反応をアナフィラキシーショックと呼びます。一刻を争う緊急処置が必要とされる事態です。このアナフィラキシーに対する第一選択の薬がエピネフリンという注射薬です。
     
    米国ではアナフィラキシーショックを診断する簡単な図説の後に次の文言が続きます。
     
    Any delay in administering epinephrine greatly increases the chance of hospitalization. Delaying or failing to use epinephrine has been associated with fatalities. 
    Epinephrine first, Epinephrine fast.
     
    (エピネフリンの投与が少しでも遅れると症状が重篤になり入院加療が必要となる可能性が非常に高い。エピネフリン投与の遅れや不使用は生命にかかわる。
    エピネフリンが第一選択、エピネフリンの少しでも早い投与を)
     
    一方、日本ではアナフィラキシーの診断法の解説が長々と続いたあと、エピネフリンの効能書き、投与時の注意点、そして、使用後の副反応が長々とそして淡々と続きます。
    まるで積極的に投与せず、救急隊の到着を待っていたほうが(自分のためには)安全だよと勧めているようです。
     
    このように薬の使い方ひとつをとっても
    (するべき)何かをしないと非難されるアメリカ

    何かをして (問題が起こったら)非難される日本
    という構図が鮮明になってきます。
     
    今の日本の社会は、問題を解決しようとして積極的に行動を起こした時、その結果がうまくいかないと、俄か批評家が湧きだしてきてマスコミやSNS等で非難の嵐の晒しものにする傾向があります。リスクを伴うことはすべて他人任せにして、無責任に批評をしながら横目で成り行きを観察し、うまくいきそうな感触が得られたら、まるで自分の手柄でもあるかのように吹聴する。そんなやり方が利口でうまい生き方なのかもしれません。
     
    去年の初めにコロナが世界中に蔓延し始めた頃、ワクチンの製造は日本が早いだろうと期待を持って考えていました。なにしろ、日本の過剰なほどの抗生剤の投与量や毎年繰り返されるインフルエンザワクチンの高い接種率などから推察すると抗生剤の創薬技術やワクチンの製造技術に対して最新の設備とマンパワーが備わっているだろうと思っていたからです。
    ところが蓋を開けてみるとその期待は大きく裏切られ、いち早くアメリカと欧州がワクチン製造に成功し、そしてロシア、中国が続きました。
    この体たらくに対して、日本の製薬関係の専門家は
    “現在、第二相の臨床試験が始まったばかりで一周遅れですが、安全で効果の高いワクチンの製造を目指して頑張っています。”
    と話していました。
     
    その頃のマスコミは、ロシアや中国のワクチンの品質や安全性を揶揄する論調の多くの記事を流していました。
    ところが、購入契約を結んだ欧州やアメリカのワクチンが、自国民への優先接種のため日本に予定量が入ってこないことが明らかになると、手のひらを返したように、ロシア製のワクチンの有効性を英国が報告しているから、その使用も検討していると発表し始めました。
     
    日本は長年、人口当たりのベッド数は世界一であると自負してきました。しかし、このベッド数はお金儲けのためのベッドであっても、高度な治療を行えるベッドの数ではないようです。
    コロナ感染症のパンデミックという経験したことのない逆境の中で、様々なことの本当の姿があぶりだされてきています。
     
    風に身を任せて風向きを教えてくれる風見鶏は役に立つ働き者ですが、自分で考え自分で決めるというリスクを負わず、その時々の情勢に右往左往しながら良いとこ取りをしていく風見鶏のような生き方は、リスクの少ない賢い生き方ではあっても、誰からも敬意を払われない生き方のように思えます。
     
    自分の信念に基づいて自分で判断し、結果のすべてに対して責任を持つ。
    苦労が多くてもそんな生き方をしていきたいと思います。
     
    2021年3月2日 院長 山下直樹
  • 2020.12.29

    12月20日、日曜日の午前診療を終えて院長室に戻ると金沢から何度も着信が入っていました。折り返し連絡を入れると
    “おじいちゃんが亡くなったって病院から連絡があったよ。”
    涙声の長女が答えました。日曜の午後、一息つこうと思っていたのですが、急遽荷物をまとめ金沢に向かいました。
    北へ向かうほど暗い雲が垂れ込める霙まじりの寒い日でした。

    父は今年で92才になります。
    酒好きで料理好きだった父は毎日のように台所に立っていましたが、歳とともに物忘れがひどくなり、ガスレンジの火を消し忘れて何度も鍋を焦がしていまい、火事が怖いと母がよく愚痴をこぼしていました。監視役の母が先に亡くなり、父は介護施設に入所することになりました。

    二週間に一度、神奈川から金沢に帰り、母の墓前に花を添え、父に会いに行くことが私の恒例になりました。それから5年の月日が流れました。

    私が見舞いに行った帰り際には、父は杖をついて部屋の入口まで出て“また来てね。”と手を振り、エレベーターのドアが閉まり私の姿が見えなくなるまで見送ってくれたものでした。

    しかし、コロナの流行により、父の入所している施設でも面会することが難しくなり、時々入る施設からの連絡だけが父の便りを知る手段となりました。

    耳も遠くなり、ほとんど誰とも話さず、食事以外は一日寝てばかりいる単調な生活の中で、父の認知症が進んでいくことが気がかりでした。

    今年の夏のある日、父の入れ歯が無くなったと連絡が入りました。
    新しい義歯を作るため歯科医の先生が何度か往診に来てくれたのですが、仕上げの段になって父は頑として口を開けようとしなくなり診察を拒みました。残された義歯は一度も使われることなく未完成のまま片づけられることになりました。
    父の唯一の日課であり楽しみであった食事は、歯茎でしか食べ物を噛めないため流動食中心となりました。

    それから間もなく、父が部屋で倒れて病院に救急搬送されたと連絡が入りました。

    明け方トイレに行こうとして転倒したらしく、ベッド脇に倒れていたところを発見されたそうです。大腿骨を骨折しており、高齢のため手術には危険が伴うが、骨折部位を固定しないと痛みが取れないとの説明を受け、金属プレートで固定する手術を受けました。手術は無事に終了しましたが、それ以降、杖をついて歩く父の姿を見ることはできなくなりました。

    介護度の上がった父はそれまで入所していた施設では介護できなくなり、特別養護老人ホームに入所することになりました。

    新たな環境の中で、車椅子に座って日光浴をしている父の写真が送られてきました。穏やかな父の笑顔を見て、この2,3か月の大変な日々の中で、痛いとも辛いとも一言も弱音を吐かず乗り越えてきた父の強さに頭が下がる思いがしました。

    しかし、そんな穏やかな日々も長くは続かず、食事を摂らなくなり、肺炎を起こし発熱を繰り返すようになりました。主治医からは“いつ急変されてもおかしくない状態です。”と告げられました。父の検査データは、内科が専門でない私にでも、父の生命の蝋燭が急激に短くなり、まもなく燃え尽きようとしていることがわかりました。

    92才。山あり谷あり波乱万丈の人生だったけど生き尽くしたよね。
    この歳まで生きられるなんて家族、親戚、誰一人想像できなかったよ。
    酒も飲めず眠ることしかできない毎日にきっと退屈してるだろうね。
    父のやせ細った顔を見るとそんな思いが私の心をよぎっていきました。

    しかし、私の一人合点な納得を見透かしたように、9月に出産したばかりの長女が
    “どうしてもおじいちゃんにひ孫の顔を見せてあげたい。そして、元気になってほしい。赤ちゃんって生気に溢れていて周りを元気にしてくれるから、おじいちゃん、ひ孫の顔を見たらきっと元気を取り戻すよ!お父さんから主治医の先生に会わせてくれるようお願いしてみてほしい。”
    と請われました。
    長女の温かい言葉に後押しされ、主治医にお願いすることにしました。

    主治医の先生は事情を察し承諾してくださり、面会の準備を整えてくれました。

    用意された感染防護服とフェースシールドを身につけて父の部屋に入りました。
    “ずっと寝てばかりで声をかけてもあまり反応されませんよ。”と傾眠傾向の父の様子を看護師さんが話してくれました。

    “父さん、久しぶりだね!会いに来たよ!今日は赤ちゃんを連れてきたよ。
    赤ちゃん。ひ孫だよ!すごいね、父さん、わかるかい!”
    父の耳元で話しかけました。

    数か月ぶりに聴いた私の声がわかったのか父はうっすらと目を開けました。

    長女は抱いていた赤ちゃんを父の枕元に降ろし、
    “おじいちゃん、初めまして。ひ孫の佳永だよ。こんにちは、おじいちゃんに会いに来たよ。”
    と声をかけました。
    父は点滴で内出血の目立つ腕をゆっくりと伸ばし、丸々とした赤ちゃんの頬を撫で、それから小さな手を握りしめました。
    そして、わかるよと答えるように小さく頷きました。

    短い面会の時間を終えて防護服を脱ぎながら
    “おじいちゃん、目が輝いていたよ。ひ孫だってわかったみたいね。”
    “春になったらまた会わせたいね。きっと元気になるよ。”
    嬉しそうに娘が話してくれました。

    それからちょうど一か月、体を形作る細胞のすべてのエネルギーを使い果たしたように、父は静かに永遠の眠りについたそうです。この一か月の時間は、ひ孫からもらったプレゼントの時間だったのかもしれません。

    小さな手を握りながらひ孫の顔を見つめる父の横顔は
    “生きることは大変だよ。辛いこと沢山あるよ。けれど、良いこともいっぱいあるからね。頑張るんだよ。”
    と魂の言葉を伝えていたように思われました。

    遺骨を膝に乗せ斎場を後にする時、雪雷の予報にもかかわらず厚い雲の切れ間から青空がのぞいていました。

    生命のバトンを渡してひとつの長いストーリーにピリオドが打たれました。

    長い間、ご苦労様でした。そして、ありがとう。

    追伸)主治医の先生がその時の写真をわざわざ撮って送ってきてくれました。
    かけがえのない写真になると思います。

     


     
    2020年12月29日 院長 山下直樹
  • 2020.09.01

    長かった今年の梅雨も終わりに近づいた七月末、クリニックの外階段で今年初めての蝉の声を聞きました。隣家の大きな木のある庭に面したこの階段で、毎年一番蝉の声を聞いてきたように思います。“今年も夏が来たんだ” 蝉の声はとても好きな風物詩のひとつです。

    蝉にも鳴く順番があって、まずニイニイゼミがチーチーと先陣を切り、アブラゼミがジージー後を追い、盛夏の頃にはミンミンゼミとクマゼミがミンミン、シャアーシャアー暑さを募らせ、夏も終わりに近づいた頃ツクツクボウシが軽やかに街を彩り、心に染み入るヒグラシの声が晩夏を締めくくります。
    街中で聞くとそれほどでもありませんが、大きな公園や郊外の森の中で重なりながら降り注いでくる蝉の声のシャワーを全身に浴びると、つい空を見上げて、蝉時雨という風情のある夏の季語を思いついた方の鋭い感性に感心してしまいます。
    蝉の声をただの騒音としか感じない国も多いようですが、長い地中生活の末に成虫となったオス蝉が短い命を燃やし尽くすようにメスを呼び続ける魂の声にはどこか悲壮感が漂っていて、日本人の琴線を揺さぶるのではないかと思います。

    COVID-19の感染蔓延から早半年になります。
    毎日のようにマスコミから流されたCOVID-19への恐怖。昨日まで元気だった人の容体が急変し、あまりに突然に帰らぬ人となり、その臨終さえ立ち会えない。感染すると家庭でも職場でも村八分のように扱われ非難される。そんな受け入れがたい不合理な衝撃は、人々の人生に対する考え方に少なからず影響を与えたようです。

    YSYCの診療の中でも、患者さんの考え方の変化を肌で感じることができました。
    のんびりと治療していた方が治療を急ぐようになりました。そして、初診の患者さんの年齢が若くなりました。以前は30台後半から40台前半の方が多かったのですが、COVID-19以来20歳代の方がクリニックの門をたたくようになりました。
    仕事優先或いは自分の人生優先の生活を送ってきた方が、未知のウイルスに命を脅かされる時代に優先すべきことは何かを自問した時、子供が欲しいと思われたのかもしれません。また、先行きが不透明な時間が足早に通り過ぎていく中で、御両親に早くお孫さんの顔を見せてあげたいと思われたのかもしれません。
    ワクチンや特効薬の開発までCOVID-19を抑え込むことが難しいことが明らかになってきた昨今、三密を防ぎ、マスクの着用や手洗いを励行するという感染症予防のイロハが声高に推奨されています。何をいまさらという感もありますが、情報に振り回されることなく取捨選択し、患者さん、職場、職員、そして家族を守っていきたいと考えています。

    私自身のこの半年間は、霧がかかったように記憶が曖昧な、生命感の乏しい、息苦しい日々が多かったように思います。人は元来、仲間同士が集まり、喜びを分かち合い、悲しみを慰め合う、そのような繋がりを心の糧として人生を一歩ずつ歩いていくものですから、三密を防ぎ、ソーシャルディスタンスを保ち、リモートで仕事をするような、それこそアクリル板が人間関係に挟まったような生活からは生きていくために必要な滋養や潤滑を得ることは難しいのだろうと思います。
    私に仕事をする力を与えてくれる患者さんの笑顔がマスク越しではなく直に見れる日が早く来てくれることを心から願っています。

    滝のように降る雨、体温を超える高温、そして猛烈な台風など優しさを失い壊れてしまった四季の中で、時の移ろいを健気に知らせてくれる風物詩のひとつひとつがとてもいとおしく思われます。

    いつの間にかヒグラシの声が混じるようになった蝉時雨が今日も外階段に降り注いでいます。

    2020年9月1日 院長 山下直樹
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医療法人社団 煌の会 山下湘南夢クリニック 院長:山下直樹
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