医療法人社団 煌の会 YSYC山下湘南夢クリニック

日本生殖医学会認定 生殖医療専門医 不妊治療費助成金指定医療機関 藤沢駅南口徒歩4分 TEL 0466-55-5011

スタッフブログ 山下湘南夢クリニック(YSYC)は、神奈川県藤沢市にある不妊治療を専門とする医療機関です。 そこで働く私たちスタッフが、日々感じた事や不妊治療に関する事を書いています。

  • 2019.10.26

    去る8月29日に愛犬のサクラが亡くなりました。

     
    サクラは、私が16年前に大阪のクリニックで勤務することになった時飼い始めたミニチュアダックスフンドです。

    ゴールドの毛並みの小柄なミニチュアダックスを希望してダックス専門のブリーダーを訪れると、ほぼ希望通りの毛色と体格をした子犬を見せてくれました。しかし、素人目にも病弱そうで、抱き上げると手の中でうずくまり、小さく震えていました。

    「可愛いけど、ちょっと元気がなさそうですね。」

    と尋ねる私に

    「いや、生まれたての子犬はみんなこんなもんだよ。」

    とブリーダーさんは答えました。

    そんな立ち話を交わす私たちの足元に置かれた段ボールの中で、ぴょんぴょん飛び跳ねている仔犬がいました。手を差し出すと指先をぺろぺろ舐めて愛嬌たっぷりにクルクル回って、まるで私を連れてってと主張しているようでした。

    「このワンちゃん元気ですね。ちょっと毛色が濃くてレッドみたいけどこの子犬もゴールドですか?」

    と尋ねると、

    「成犬になると毛色がだんだん薄くなってくるからこの犬もゴールドになるよ。体格も育て方次第でいくらでも華奢にできるよ。」

    と返事が返ってきました。

    毛色と体格は希望通りではなかったのですが、小さな顔に不釣り合いなほどの大きな垂れ耳とクリクリしたつぶらな瞳が可愛くて、この子犬を連れて帰ることにしました。それが、サクラとの出会いでした。

    帰り道の電車で、膝に乗せた段ボールに開けた空気穴から小さな鼻先を出して外の気配をしきりにうかがっているサクラの仕草が、他のお客さんの微笑みを誘いました。

     
    住まいのあった兵庫県西宮市夙川は、六甲山から香櫨園浜に注ぐ夙川の両岸に立派な桜並木のある遊歩道が整備され、花見の頃には桜色の帯が川を縁取るように山から海まで続く美しい所でした。

    当時の私は勤務を終えて帰宅すると片手にテニスラケットを持ち、夙川の河岸をまず山へ向かい折り返して海までジョギングし、防波堤のコンクリート壁でテニスの壁打ちをすることを日課にしていました。そのため、サクラの足腰がしっかりしてきた頃から散歩がてらに私の日課にサクラを付き合わせることにしました。

    散歩の途中、見た目にも上品で高価そうな毛並みのダックスを連れているおじさんから、“ダックスは腰椎ヘルニアになりやすいから階段の上り下りはさせちゃいけない。段差は抱き上げるように注意しないといけないよ。”とアドバイスを受けながらも、サクラは歩道橋の階段を勢いよく駆け上がり駆け下り、桜並木の下を疾走し、六甲山の岩山をずり落ちそうになりながらもガッツで制覇し、海に着くとためらうことなく飛び込み、砂浜で砂まみれになってはしゃいでいました。海から心地よい風が吹くとサクラの大きな垂れ耳は風にたなびいて、このまま空に舞いあがってどこか行ってしまうのではないかと思いました。

    上品とか華麗などとは無縁なサクラでしたが、クリクリした目と優しい気立てで、すれ違う人から“可愛いワンちゃんですね。”とよく声をかけられたものでした。

     
    夙川から新宿そして藤沢と私の勤務地が変わっても、サクラは変わることなくいつも私の傍にいてくれました。

     
    病気ひとつせず元気さと食欲が取り柄のサクラでしたが、二年ほど前から急速に老いが忍び寄ってきました。眠っている時間が多くなりました。耳が遠くなり名前を呼んでも気づかなくなりました。最後までゴールドにはならなかったレッドの毛並みも口吻の周囲に白毛が目立つようになり老犬らしい風貌になってきました。散歩に出てもよたよた重そうで、すぐに立ち止まり“もう、しんどい”とでも言っているように上目遣いにこちらを見上げるので、抱いて帰ってくることも多くなりました。そして、乳癌の手術も受けました。

    犬の一年は人間の六,七年にあたるそうですから、サクラも優に80才を越えたおばあさんです。サクラの変わりゆく姿を見ていると、年老いていくことがどういうものなのか、早送りのビデオを間近で見せてもらったような気がします。

     
    様々な感覚や能力が失われていく中で、サクラらしく食欲は晩年まで衰えを知りませんでした。ドッグフードだけしか与えないと“ウー、ワン(えー、何これ!!)”と一言文句を言ってからしぶしぶ食べ始めました。私が帰宅するとなにかおやつがもらえるはずだと考えて、ヨタヨタした足取りで私の後をストーカーのようについて回りました。私が風呂に入っている時は浴室のドアの外で忠犬ハチ公よろしくじっと待っていました。私にはよく怒られたものですが、サクラは私のことをとても慕ってくれたように思います。

     
    そんなサクラとの穏やかな日々は突然に幕を閉じることになりました。

    家を空ける用事がありペットホテルに預けたサクラを迎えに行く日、ペットホテルから“サクラちゃんの呼吸が止まって心停止が来ています。今からすぐに動物病院へ連れて行きます”と連絡が入りました。クリニックの診療を終えて動物病院に駆けつけるとサクラは緊急蘇生を受け一命はとりとめたもののビニールで覆われた酸素室で浅い息を頻回にしながら空ろな目をして横たわっていました。

    “運ばれてきた時は心停止が来ていて、蘇生で回復しましたが、いつ亡くなってもおかしくない状態です。病院の方で様子を見て何かあったらすぐにお知らせするのでもよいですし、お家に連れて帰って家族の方で見守って下さってもよいです。”

    と獣医さんは話されました。

    サクラには温かな環境の中で旅立ってほしかったので、酸素室一式を車で運んでもらい家に連れて帰ることにしました。家に着くと、見慣れた景色、いつもの匂いに元気づけられたのかサクラは頭を持ち上げたり、少しだけ立ち上がったりしました。そして、我が家に初めてやって来た日、車中で段ボールから鼻先をのぞかせていた時と同じように、酸素室の扉から乾いた鼻先を出して辺りの様子を懐かしんでいました。

     
    浅い呼吸の度に波打つお腹や、端の方が縮れて面影の無くなってしまった垂れ耳を撫ぜているとサクラとの様々な思い出が蘇ってきました。

     
    翌日、診療を早目に切り上げて六時少し前に帰宅するとサクラは横たわりながら私を迎えてくれました。そして、着替える間もなく六時十分に、私の帰宅を待っていてくれたかのように下顎呼吸を3-4回した後、潔いほどにあっさりと息を引き取りました。

    16回目の誕生日を翌日に控えた夕刻でした。

     
    葬式の日、斎場の方が「小型犬の老犬は焼くと骨が薄くて簡単に割ることができるんですけど、とてもしっかりした骨のワンちゃんですね。」と驚いていました。その言葉を聞いて、サクラのことを誇らしく思いました。

     
    サクラがいなくなって早や二か月になります。

    帰宅しても、ヨタヨタとした足取りでストーカーされることもなければ、温かい毛並みを撫ぜることも叶わなくなりました。けれども、浴室の扉の向こうには今でもサクラが待っていてくれるように思います。サクラは家族それぞれの心の中に、いろいろな形をした記憶としてしっかりと生き続けていると思います。

     
    私の父は三年前に亡くなった母がまだ生きていると信じていて、私の顔を見るたびに“かあさんは?”と尋ねます。その度に、母は父の記憶の中で間違いなく今も生きているんだと感じさせられます。

     
    死というものは絶対の別れのように言われます。しかし、残された人々の心の中に、記憶に姿を変えて生き続けるのだと思います。きっと、その人のことを思い、記憶する人が誰もいなくなった時、本当の死が訪れ、人は無に帰っていくような気がします。

     
    死というものがどういうものなのか、最近少しだけわかってきたように思います。

     


     
     
     
     
     
    2019年10月25日   院長 山下直樹
  • 2019.07.27

    今年91歳になった父は、母が亡くなる少し前に介護施設に入所して三年になります。

    もとはホテルだった建物を改装して作ったその施設には、たっぷりとしたソファが何脚も並んだ広いガラス張りのロビーがあり、錦鯉の泳ぐ日本庭園が眺められます。その四階の個室に父は入居しています。親戚からはこんな立派な施設に入ることができてお父さんは幸せ者だねと言われます。

    父は破天荒な人生を生きた人でした。裸一貫から事業を起こし、順風満帆な時と逆境の時を繰り返し生きてきました。羽振りの良い時には金沢の一等地に豪華な家を建て、当時は珍しかった外車に乗り、日本全国津々浦々家族を旅行に連れて行ってくれました。

    逆境の時には、すべての資産を失い、唯一残った工場の二階に急ごしらえの部屋を作り、家族四人で過ごしたこともあります。良い時の意気揚々とした父の姿を知っているだけに、肩を落とした父の後ろ姿は子供心にもとても悲しい光景でした。子煩悩でユーモアがあって家族を深く愛する一方で、短気で、浮気性で、酒飲みで、母を泣かせたり従業員を怒鳴りつけたりする父の姿は、思春期になった頃の私には煩わしく、なんでこんな父親のもとに生まれたのだろう、もう少し穏やかな家庭に生まれたかったと思うこともしばしばでした。

     
    月に二度、土曜日の外来診療が終わると藤沢駅に急ぎ、夕刻に東京駅を出発する北陸新幹線に乗り故郷の金沢に向かいます。そして、日曜日に母の墓に参り、父を見舞い、住む人のいなくなった実家の郵便物などの整理をします。週明け月曜の一番列車で金沢から藤沢に戻り、また新たな一週間の仕事に取り掛かるのがここ数年の二週間に一度の私の慣例になっています。

     
    最近は、墓参りの代行業が繁盛しているとか、先祖代々の墓を放棄する人が増えているとか殺伐としたニュースが報道されていますが、私は墓参がとても好きです。花と水桶を携え、高台にある墓へ続く坂道を登っていきます。墓に着くと、遠くに日本海が輝いていて、心地よい海風が街を越えて渡ってきます。強い風に消えてしまいそうになる蝋燭の炎に手をかざしてようやく線香に火を点すと、揺らめく白煙とともに昔と変わらない香りが広がり、お盆に両親の実家に遊びに行った子供の頃の懐かしい思い出が蘇ってきます。春にはウグイスがさえずり、夏の蝉しぐれ、秋には紅葉、そしてしんしんと降り積もる雪、季節それぞれの風物詩が時の流れを感じさせてくれます。目を閉じて、手を合わせると静かで穏やかな時空にいざなわれ、日々の生活でささくれだった心が癒されていく気がします。

     
    墓参をすませた後、父のいる介護施設に向かいます。娘たちは“おばあちゃんのお墓参りの後におじいちゃんのお見舞いって、お父さんはいつも順番が逆だね。”と笑います。けれども、自然とこの順番になってしまいます。

     
    金沢に帰ると欠かすことなく父を訪ねてきた私ですが、実を言えば、父の見舞いは気が重い、ある意味、義務のようなものに感じてきました。疲れている時など“今日は見舞いに行くのやめようかな”とこぼす私に“行った方がいいよ。おじいちゃん待ってるよ。”という家族の後押しに支えられて、渋々見舞いに行ったことも何度かあります。我ながら親孝行とは呼べない息子だなと思うのですが…。

     
    父が嫌いでもないのにどうしてこんな気持ちになるのだろうと考えるのですが、きっとそれは、自由奔放に生きてきた父が、大好きだった酒も飲めず、最良の話し相手であり喧嘩相手でもあった母と話すこともなく、食事と排泄とたまの入浴以外はベッドの上で眠っている生活が、自由を奪われた鳥かごの鳥のように思えて、-父はこの生き方に満足しているのだろうか?口には出さないけれど本望ではない苦しい時間を送っているのではないだろうか?-などと考えてしまい、いたたまれない気持ちになってしまうのです。

    “もう帰るの。もう少し一緒にいてあげようよ。”という家族の言葉を背に、“じゃあ、帰るね。また来るよ、なにか欲しいものはない?”

    と耳の遠くなった父の耳元で声をかけ、それから手を握って部屋を後にします。

    父は弱った足で部屋の戸口までよたよた見送りに出て、手でコップの形を作り口元に運び、一言“ビール”と言って皆を笑わせます。そして、“また、来てね。”とエレベータの扉が閉まって私たちが見えなくなるまで小さくゆっくりと手を振ります。

     
    今日も食堂で、一言も話さず、一粒も米粒を残さずに食べ、そして、箸を綺麗にそろえ、口を拭った濡れナプキンをきちんとたたんで食事をとっていると思います。

    施設の職員に“かあさんは、どこ行った?”と声をかけながら、帰ってくるはずのない母をエレベーターホールの椅子に腰かけ待っていると思います。

    衰えていく肉体と、薄れてゆく精神の中で、父は父なりに穏やかで静かな時間を過ごしているのかもしれません。

    そう思うと、新幹線の車窓を飛ぶように流れていく景色を眺めている私が幸せで、古い町並みの上をゆっくりと流れていく白い雲を部屋の窓から見ている父が不幸だというのはただの私の思い上がりに過ぎないように思えてきます。

    今度は少し明るい気持ちで父の見舞いに行けそうな気がします。

     
     
     
    2019年7月27日 院長 山下直樹
  • 2019.03.10

    先日2泊3日の旅程で知床半島に流氷を見にいってきました。

    YSYCには“日本の世界自然遺産を訪れる会”というのがあって二年前は鹿児島県の屋久島に渡り縄文杉に会ってきました。今回の旅はその第二弾で、知床は四季折々に素晴らしい景色に出会える場所ですが、折角行くなら流氷の季節にとこの時期を選びました。学生時代からニセコやトマムそしてフラノなど北海道の有名なスキーエリアは何度も訪れてきましたが知床とは縁がなく、ましてや流氷の時期に訪れる機会はずっと無いだろうと諦めていただけに、今回の知床流氷ツアーは期待に満ちた旅でした。

    第一陣は一行5人で、昼に羽田空港で待ち合わせ1時間半余りのフライトで道東の女満別空港に着陸しました。空港からはバスで目的地である知床半島ウトロまで2時間半の旅です。一面の雪景色と氷点下の寒さが遠くに来た旅情をかきたてました。内陸に位置する空港を出て網走湖、網走市街を越えるといよいよオホーツクの海沿いを走る道に出ます。国道と海の間の砂地には釧網本線という鉄道が走っているのですが、線路は今にも雪に埋まってしまいそうで、行き帰りともに一度も電車とすれ違うことはありませんでした。寒々とした海だけが続く荒涼とした風景ですが、過ぎ去っていく景色を見飽きることなく眺めていました。

    サイの角のようにオホーツク海に突き出した知床半島の付け根にある斜里町に入ると北国の弱い陽ざしを鈍く反射する灰色の海にジグゾーパズルのピースのようないろいろな形をした氷塊が見え始めました。徐々に数を増していく流氷は所々で入江を埋め尽し、白い回廊が遥か沖合まで続いていました。シベリア、アムール川河口周辺でできた氷が長い旅路の果てに行きつく南限が知床の流氷だそうです。天気の荒れる北からの季節風が吹けば岸に打ち寄せ、南風が吹けば岸から離れていくそうです。流氷という自然の防波堤に守られた内側の海が波ひとつなく鏡のように静かなことがとても印象的でした。

    お昼に羽田空港を出発した旅もウトロにある宿に着く頃には日も沈みかける時間になっていました。ウトロへ急ぐバスの車窓には、オホーツクの海をオレンジ色に染めながら、自らの姿を流氷の海に映し込み沈んでいく夕陽が美しく輝いていました。

    いつの頃だったか記憶は定かではないのですが、YSYCの研究スタッフと酒を飲みながら研究テーマについての話を聞いていました。世界中の誰もまだ手をつけていない難しいけれど夢とロマンに溢れた研究がうまくいったら、流氷でオンザロックを作り乾杯しようと語り合った記憶があります。その時は流氷の海の具体的なイメージはなかったのですが、こんな夕焼けの流氷の海を見ながら海岸にたたずみ、流氷のオンザロックで彼と祝杯を挙げることができたら、きっと天の雫の味に心が震えると思います。
    そんな思いとともに、バスはウトロに到着しました。



     
     
     
     
     
     
     
    夜の原生林をかんじきを履いて散策し暗闇の静寂と雪の感触を楽しみ、凍てつく寒風の吹き抜ける雪原を歩きシマフクロウやモモンガを探し、そして、ボディスーツに身を包み流氷プールに入り童心にかえり歓声を上げました。
    大自然に包まれ、新鮮で豊富な食材を堪能できた素敵な時間を過ごすことができました。

    ネイチャーツアーの終わりに、ガイドさんが優に100頭を超えるエゾシカが柵の中に入れられている場所に連れて行ってくれました。柵に近寄る私たちをシカの群れは悲しい目をして追っていました。オオカミが絶滅してシカが増えすぎた結果、餌がなくなる冬に木の皮までを剥いで食べてしまうそうです。その結果、森が枯れ世界遺産の知床の生態系(エコ)も破壊されているのだそうです。そのため、間引きのために捕獲し、肉をハンバーグなど名産品にして道の駅で販売しているとガイドさんは淡々と説明していました。どこか収容所のような異様な雰囲気の理由が納得できたように思いました。さきほどまで森の中にいるエゾシカを双眼鏡で見つけて歓声を上げていた自分たちはいったい何だったんだろうと不思議な気持ちが心の中に残りました。エコというより人間のエゴを感じさせられた寂しい光景でした。何事につけ、すべてを綺麗ごとだけでは済ますことはできないものだと改めて思わされました。

    帰路のオホーツクは明るく晴れ上がり、青い空を背景に流氷の白が眩しく輝いていました。とても短い滞在でしたが、数々の記憶に残る美しい表情を見せてくれたオホーツクの神様に心から感謝したいと思います。

    空港までのバスに揺られながら都会では得られることのない自然の恵みに別れを惜しみました。



     
     
     
     
     
    2019年3月9日 院長 山下直樹
  • 2019.01.01

    あけましておめでとうございます。



    2018年はYSYCの新たなる飛躍を目指して、診察機器の最新機種への更新、培養室の拡張工事と培養機器の最新機種への更新さらに受精卵管理システムの導入、高度生殖医療研究所の拡張と研究員増員、そして事務室の予約、精算システム導入と多岐にわたり着手した年でした。20193月までにすべてを完了する予定です。

    ソフト面では、正確さ(Accuracy)と迅速さ(Speedy)を常に念頭において仕事に従事するようこれまでスタッフに話してきたのですが、今年からこの二つに加えて、カッコよさ(Cool)を意識するように話していきたいと考えています。無駄を省き、正確で迅速な仕事を極めていくとそこには自ずと美しさや見事さが醸し出されてきます。スタッフひとりひとりに、周囲の人からあの人の仕事ぶりはかっこいいなと思わせるようなエキスパートになってほしいと考えています。

     

    開院10周年を迎えた2019年、ハード、ソフト両面を更に充実させ、無駄のない洗練された治療施設を創造し、患者さんの夢の実現に微力ながら貢献していきたいと考えています。

     

    本年もよろしくお願いします。



    追伸)昨年暮れの天皇誕生日の聡明さと慈愛に溢れた陛下のお言葉には感動しました。

       平成という時代が終わりを告げようとしているのですね。

                            

    2019(平成31)年11日 院長 山下直樹
PAGETOP

医療法人社団 煌の会 山下湘南夢クリニック 院長:山下直樹
〒251-0025 神奈川県藤沢市鵠沼石上1-2-10 ウェルビーズ藤沢4F
TEL:0466-55-5011 FAX:0466-55-5012